人生の転換期
昨年の夏父親を送り、その2カ月後は勤務先の
社長の突然死。
そのことで会社は廃業というか倒産。もともと赤字だった。
そして失業。
人生で2つの会社に勤め、2社共に倒産。
けっこうキッツイな・・・
私って人生の負け組・・・?
だけど、そんなふうには思いたくないな。
なかなか誰も経験できない事を経験し、ツラかったり
悲しかったりしたけど、そのたびに強くもなったかな・・・
そうは言っても若いならあまり焦らないが、
もう人生半分以上過ぎたから・・・
気持ちだけは前向きににと解っているけど
それでもシンどくて泣いてしまう。
ネガティブVSポジティブのせめぎ合い
落ち込みそうになったら、「ネガちゃん登場!」
と声に出し、ポジちゃんを呼んで来てもらう

大変! 病気の猫への薬の投与が出来ない!part 2
こんなに大変!暴れる猫に薬を飲ませられない…💦
★暴れないようにするために
大判バスタオルを買ってきたけれど…
動画で見つけた獣医さんがバスタオルで
包んで顔だけ出させている猫ちゃん
でも見るからにおとなしそうな猫…
我が家のフクとは大違い (笑)
とはいえ、試せる事は何でも
トライしなきゃと大判バスタオルを
広げて背後からバスタオルの中央あたりに
猫をお座りさせ、フクちゃん スタンバイ!
がしかし、悲惨な結果とフクにとても可哀そうな
思いをさせてしまいまいた・・・・
聞いたこともない声でやめて!と鳴いたフク
バスタオルを巻きつけた時点ですでに
イヤだ!イヤだ!と体をよじるフク
よく考えればこの上の解説にも
ある通り、先ず猫にバスタオルに
慣れてもらう必要があり、
私にはそんな余裕などなく、一刻を
争う状況のフクの容態なのだから
最初から無理があった
でも、その当時の私は試せることは
とりあえず何でも挑戦してフクに
とにかく服用させねばならないの
一心でしたから、嫌がるフクの体を
体重を乗せて押さえつけながら口を
開けさせ、錠剤を入れようと何度もしました😿
すると、顔を左右に振りながらバスタオル
から逃れようと必死の形相
そして・・・
初めて聞くフクの
「イヤだ、イヤなんだ、・・・やめて!」
小さい子供がギャーっ!て叫ぶような
心の叫びのような鳴き声・・・
私は押さえていた手を放し、フクを自由にさせた
こぼれる涙を拭い、フクが一番ツラいのだと
「私が下手くそだからフクにイヤな思い
させちゃったね。ホントにごめんねフク…」
この時フクが泣いた声は今でも
忘れることはできません
それから他には大きな巾着袋を買ってきて
顔だけ出させるやり方も失敗し、
引っかかれないようエリザベスカラーを
付けようとしたが、それもイヤだと言われた
自分の手が傷だらけにならないようにと
手袋を付けたが、今度は感覚がつかめず断念
時間だけが過ぎていく中、どうにかして
錠剤を飲ませないといけない
しばらく時間をおいてから
再びフクをベッドの上に乗せて、
背後からフクを太ももに挟む形で
私のお腹で何とか体を固定し、
今度は素手だけで錠剤を口に入れ、
顔を上に向けて喉をさすり
飲み込むのが分かってから
用意していたシリンジで口の横から
水を含ませ、薬を飲みこみやすく
してあげた
手を離すと、ケロッといつものフクでいてくれた
出来た!!!
嬉しくて、フクちゃんありがとう!と
涙をこぼしながらフクをなでた
でも飲ませる錠剤は最低3種類、
一回につき4錠を朝と晩服用させないといけないのだ
毎回フクがイヤな思いをしないように
途中でちゅーるおやつを舐めさせて
薬の苦みを誤魔化してあげながら
悪戦苦闘の日々が始まった
この一日はフクも私も疲労困憊
でも、私がちゃんと出来ないとフクのこの
恐ろしい病「白血病」には勝てないのだと、
もっと気持ちを強く持たないといけないのだ
そう心に誓った一日でした。
父親の介護を終えて…~後編~
同じ失敗を再び・・・
父と会話出来る最後の面会の時・・・
その時はこれが話せる最後とは思わなかったが
確かに言葉がちゃんと発せていなかった目の前の父の
姿を受け入れたくなかったのか・・・?
兄の時もそうだったが、父に改めて
「ありがとう、お父さん!」など言うと
まるでもう最後かのように父が思ってしまう
と私が勝手な解釈をしたがために
結局一番最悪の展開になってしまった
だけど、父は自分の体だからある程度は
理解していたに違いない・・・
もう、手遅れ・・・
これも余計な深読み気質のせいだとしたら
本当にどうしようもない
葬儀で父に読んだ手紙
もともと会話の少ない親と子
今まで心配かけてきた事を全然謝って
いなかった私
ありがとうという言葉も面と向かって
言えてなかったのでせめて手紙を読んで
貰おうと考えていたが、結局先送りになり
とうとう生きてる父に渡すことができなかった
人前でマイクの前で話すのは、後輩の結婚式の
スピーチ依頼、人生で2度目
決して慣れていないから緊張もしたが、
大きな声で眠ってる父に向って言えた
その内容は・・・
他人(ひと)と同じ事を嫌う性質の私は
お父さんにとって厄介であったであろう
と思うこと。
世間では結婚して孫の顔を見せるのが
親孝行であるということが私には
押し付けに感じて、若い頃から反発して
きたのは人は人、私は私の考えだから。
でもお父さんはそれを望んでいただろうなって
ずっと気にしながら生きてきたこと。
でもこれが私の生き方なのでどうしよう
もないけれど意志とは違う方向へと
人生は進んでしまう…
なかなか思うようにいかないのが
人生だと思う。
だけど結婚してないからこそ、一緒に
病院にも行けたから悪いことばかり
じゃないよ!
ただ・・・
花嫁姿を見たかったんじゃないかと
それだけは流石にずーっとずーっと
引っかかって過ごしてきたこと。
花嫁衣裳着て写真だけ撮りに
行こうかとも・・・
学生の頃は悪いことしてとても迷惑
かけてごめんね。
お母さんが認知症になってからは、
なかなかお父さんの面倒をみて
あげれなくてごめんね。
デイサービスに行こうとしないことで
お父さんに怒りをぶつけてしまい、
時には罵声まで浴びせてしまったこと。
最後まで優しくできなかったことを
今になって後悔していること。
私にはこれから残された人生に
おいて目標があります。
人生で辛い目にあっている人、
弱い人の味方でいること。
人の痛みが解る人間であり続けること
苦しんでいる人に寄り添える
優しい人間になりたいこと。
それに携わる何かをしながら
生きていきたい。
その目標を少しずつでも実行し、
私が人生を終え、お父さんの元に
行く時、胸を張ってお父さんに
逢えるようこれから過ごしていきたい。
本当はお父さんが生きてるうちに
手紙を渡したかったけど
日々の生活に追われとうとう直接
読んでもらうことが叶えられず
最後までダメダメな娘であったこと。
心配ばかりかけてごめんね
今まで謝れなかったから今たくさん
ごめんねを言わせてね!
そして・・・それ以上に、お父さん
心から ありがとう。
お父さんの渡すこの手紙と同じものを
私も持っておく事で、何か迷ったり
壁にぶつかった時に読み返して
乗り越えられるようお守りにします。
ネガティブ思考の私の人生の課題~明るく生きたいのに・・・
深読みし過ぎる私のクセでいつも後悔
こう言えば相手は嫌な気持ちになるかもしれないから
私が言いたい本心を言わずに
こんなふうに言えば・・・私が我慢すれば
相手は傷つかない・・・
時には気を使って言った言葉が
私の意志通りではなく、別の意味に
捉えられてしまい、誤解が生じ
相手に不快な思いをさせてしまい、
その果てには怒りをぶつけられてしまう
そんな意味じゃないのに・・・
エっ・・・?私がそんな人間だと本気で
思ってるの・・・?
でも、そこで言うとまた火に油を注ぐことに
なるから我慢して私が悪いと謝れば済む
本当はここで誤解を解く為に相手と話し合いを
しようとした事もあるが、短気な性格が
邪魔をし、もういいや・・・
自ら誤解を解く努はせずに、
謝って済まそうとする習性がある私
もう一つのパターンは
自分が悪いと思はない場合は、
そこで関係が決裂する
私はなぜか天邪鬼な面があり、
自分でもこんなはずじゃなかったのに・・・
言おうとする真逆の事を口にしてしまう
直したいがなかなか難しいこの天邪鬼問題
言い方が悪いとも言われてしまう
そしていつまでもその事を気にし
悶々と考えては落ち込む性格
済んだ事だからもうしょうがない!
って思いたいが、最初はそう思うが、
頭の切り替えができずに
くよくよする自分は大人なのに未だ
大人になりきれていないんだとまた落ち込む
長年カウンセリング受けたいと思うも、
金銭的な事で断念している現状
もう一つのネガティブの根源
そう・・・
すべてあの出来事が私の人格が段々変化していった
ように思える
理由は書かないが、持てる財力を使い果たし
(といっても高卒で働いてきたものとして
大した額ではないのだが )
無一文いうかマイナス・・・!
私一人の問題ではないこの状況とだけ書いておく
本当にお金って人格変えるんだと思った
どん底ってここかな・・・?
何年にも及ぶこの日々にすっかり私は
人と交流することが嫌になっていた
お客様から差し入れを頂いても、素直に
喜べなかったのは、貰いっぱなしでは申し訳が
立たないから、だけどお返しするためのお金が・・・
貰わないほうがいいのに要らないとも
言えない・・・
あの商品欲しいなどと会話していても、
買いたいなぁ~でも買えない・・・
と言うと、カードで買えばいいじゃん!
て言われるが、こっちとはカード使えないんです!
とも恥ずかしくて言えない
世の中から孤立していってるような疎外感
自らをその位置に追いやってしまう
世の中キャッシュレス決済になっていく中、
自分は哀れだなといつも思っていた
昔はiPhoneをずっと購入して来たが
解約となり、ガラケーを買って電話
SMSだけ使い、解約したiPhoneは
wifi環境でLINEやネットの使用の2台持ち
人前でガラホ出すのに料金節約の
2台持ちしてるのと誤魔化す度に
哀れな気持ちになった
唯一心が癒されていた愛猫フクとのお別れで
私の心はボロボロになりつつあった
父親の介護を終えて・・・~中編~

💜 棺の周りを囲む花ロウソク 💜
またしても判断を誤ってしまう自分の愚かさ
家族が揃うまで病室で待機している時、手を握り
頬を撫でながら、
「お父さんごめんね、ひとりで逝かせて・・・」
布団をめくり、「お父さん、きつかったね…」
と言いながら父の足を撫でていると、
そのやせ細った足に涙がポタポタ落ちていく・・・
3週間前の父の誕生日に新しく買ったパジャマを
持って病室に行くと父の両手には
グローブのように大きなミトンが装着されていた
私を見るなりその大きな両手を差出し
これを外せ!というゼスチャーを父はした
父が勝手にモニターに繋いでいるコードを外すので
そうしてあるので私も勝手にはダメだと断った
でもそれでも尚両手を引っ込めず、「ほら!」
と外せと訴えている・・・
そこまで言うならと外そうとするが、
とても強固で外れないから諦めてしまった
今思えば、スタッフさんを呼んで外してもらえば
よかったと、とてもとても後悔した
なぜなら、次に面会に来た時はもう
まともに会話が出来なかったから
あの時・・・ ・・・
父は自分の死期が解っていて、最後かも
しれないと、娘の手を握りたかったのだと・・・
何て私は愚かでバカなんだろう・・・
いつも、肝心な時に判断を誤ってしまうのだ
兄の時もそうだった・・・
決して仲がいいわけでもなく、
どちらかと言えば私は家の中でも避けていた
それはお互い感じている微妙な空気感
会話は無しの状態が何年も…
兄はスキルス性胃がんで、そのあまりの
痛みが凄まじいため、最期は
「ターミナルセデーション」
と言われる終末期の患者の耐え難い
苦痛を緩和するために鎮静剤投与で
意識を下げることになった
すなわち、意識のある兄と面会するのは
これが最後だという場面・・・
兄の病名を聞いてからは、これまで会話して
こなかったとはいえ、治ってほしくて
赤外線を放射するベストなどを持参したり、
医療行為以外で出来ることを調べて
兄に教えてやってもらったりしていた
楽しみにいつも視聴していたという
全英ゴルフ「THE OPEN」を録画して
CMカットしたものを持って来たら
とても喜んでくれてメールをくれたこともあった
少しずつ関係が修復されようとはするも、
お互いぎこちないのである
長年蓄積した壁を破る時間がもう
残されてはいなかった
ある日面会に行き、そろそろ帰ろうと
する私に兄は、涙を浮かべたのだ・・・
驚きと共に戸惑いが生じる・・・
入院時に既に手術不能と言われていたが
だからと言って暗い態度も取るわけには
決していかない中、涙を流す兄に
どういう態度を取るべきかなど、
とっさに浮かばず、私は
「そんな…泣かんでいい!」と
明るく言った
そこで私がとるべき対応は、
兄が何か話すかもしれないと、
その場に留まるべきであったこと
それなのに私は、泣かなくていいと言って
また来るねと直ぐに病室を去ってしまったのだ・・・
貴重な兄との2人だけの最後の会話の
タイミングを自ら手放してしまった
そして、最後眠らせる時は皆んなで
明るく、でも父は涙声になりながら
名前を何度も呼んだ…
私はそこでも何も言えなかった…
ここにいるからね!と言うのが精一杯だった…
兄は状況を解っていたのかどうなのか?
医師がどう本人に説明したのかは
尋ねなかった気がするが、
もしかしたら父が尋ねていたかもしれない
それもその確認のしようがない
13年経過しても尚、その後悔の念が
頭から消え去ることはない・・・
それと同じ失敗を私はまたしても
やってしまったのだ・・・
ああ・・・罪がより倍増してしまった
私の欠点は深く考えない言動をして
その判断が後に深刻な事態を招いて
しまい、取り返しのつかないことへ
発展してしまう…
そんな自分が心底嫌いになって
負のスパイラルへ陥ってしまうのだ…
いつも…
それを変えたいと心から願う。
父親の介護を終えて・・・~前編~
父との時間を大切にしなかった事への後悔
最近父がこの世を去った
享年96歳
人は大往生と言ってくれる
でも、私は違う・・・
それは、父の最期の迎え方である
そのことは後で書くとして
両親の介護が本格的になったのは
母の認知症が進行した時
母を介護するのが先で父の方が歳は上だが
元気にしていたし、自分の事は自分で出来ていた
結局のところ 自分が楽したくて父に甘えていた
母に手を焼いている私は父に対して常に
厳しい態度をとってきた
サラリーマン時代からの喫煙による肺気腫である
ことが判明し、さらに腎臓の機能も低下、
痩せているが昔から高血圧の薬を服用
まだある・・・
母が認知症になる以前から二人で通い
整形外科の腰の痛み止め
坐骨神経痛に長年苦しんできた父
便秘のためよく下剤も服用
沢山疾患を持っている父だが、
年齢のワリにとても元気でいつも
歩くスピードも速く年齢を言うと皆から
驚かれるのはいつもの事
でも父は決められた通りに薬を服用
してくれないのでいつもイライラした
そんな父に毎月病院へ検査をしに
車で連れて行く道中に話をする時間は
十分にあったのに 何か話そうとする父の
言葉を遮るのが癖になっていた
父がいなくなった今になって
あれもこれも尋ねておけばよかったのに…
例えば、父と母の出会いやエピソード
早い時期に父と母を亡くしている父から
私から言えば祖父と祖母のことをほとんどといって
いいほど聞いたことがない
父の兄弟のことや家系のこと
というか父が話そうとしても面倒くさい
って感じの態度しかしてこなかった
そういう家族の話をされるのが
独身の私からすれば後ろめたいというか
自分のことを言われるのが嫌だったから
そういう話題からずっと逃げてきた
昔から会話の少ない親子だったので
今さら恥ずかしいのもあった
そんなしょーもないプライドみたいなものに
囚われてバカみたいだと今ならそう思う
愛猫フクを亡くしてからは家族と向き合う時間は
十分にあった
ちなみにフクは白血病でお世話が必要だった
でもそんなのは言い訳に過ぎない
時間はあったのに...
私はそれでもしなかった事が最後に
後悔の渦として私に押し寄せてくる・・・
なんて表現するといかにも悲劇的であるが
要するに反省してもどうにもならないこと…
残酷な現実は本当ににやってきた
今年になり父の体調が急に衰えてきた
昨年は腰椎の骨折で入院したが
内臓の方はさほど変化はなかったから安心していた
だが今年になり心臓の疾患が現れ、一度は退院したが
直ぐに再入院となった
確実に衰えていく父を目にしても尚
会話を積極的にしなかった
今も尚続く病院の面会制限のため
わずかしか父に会えない中
最期の時がついに訪れてしまう
前の晩から個室に移して付き添いをして
いいと言われたのに
明日でいいと言ってしまった自分の愚かさ
父が亡くなる現実から逃げた私・・・
翌日病室に来てようやく個室を依頼した
ただ呼吸をしているだけの父
手を握っても反応はない
父の姿を見て いよいよなのだと
頭では理解したが
私は移動に邪魔になるからいったん帰宅したが
その判断が後に私の致命的な判断ミスとなる
午後から付き添いをするため兄への連絡
会社への連絡をして軽くパンを食べていたが...
ついに病院から連絡を受け、急いで駆けつけるも
もう既に呼吸は停止していた
何故私は帰ったのだろう...
というか何故昨日個室に移さなかったんだ・・・
泣きながら父の手を取り
何で話せる時にありがとうって言わなかったんだ私は...
最期まで心配もかけ
お父さんごめんねって言えなかった自分が
情けなく 動かない父の頬を撫でた
ちょっと辛くてまた次回にしよう
人間も猫も介護は同じ!
重度の認知症の母の介護をしているが、最近かなり
症状が悪化した。
つい先程まで(手を繋いでだが)ちゃんと自分の足で
歩いていたのが施設から戻って車から降りる段になると
眠気?倦怠感?なのか脱力になってしまい、
私は後ろから母を抱えて後ろ向きで
引きずる形で何とか段差のある
玄関も抱えて、やっとのことで家の中に
母を運び入れた。
そんなふうだからトイレが1番困るのである。
全然歩かないならまだしも、急に覚醒し
自分で立ち上がりトイレに行く時もあるので、
寝たきりの紙おむつにする訳もいかない。
私の部屋が2階にあるのも付きっきりで
見てはいられないし、さりとて
その時だけ布団を持って来て下で寝るなど
やろうと思えば出来るが、気が休まらないし
寝不足になってしまう。
それより部屋にいて1〜2時間おきに
様子を見てる方がいいかと思う。
白血病で亡くなった猫フクを見守るために
当時部屋に付けたネットワークカメラを
母用に付けようかとも考えたが、
それも気が休まらないだろうと・・・
食事も自分で箸を持って食べれる時と
介助してスプーンで食べさせなければ
ならない時と両方である。
そんな母に薬を飲ませなるとなったが
何と過去の経験が活きることになった。
それは・・・
白血病の愛猫フクを看病した時の経験だった。
これまで母は薬(錠剤)を手に乗せると、自分で口に入れるので
あとは水の入ったコップを渡せば飲み込んでくれていた。
それが、現在は手に乗せても手を傾け落っことして
面白がっている。
まるで子供だ!それに錠剤自体も大きいのは
飲み込む事が困難なのかもしれない…
そこでフクに薬を飲ませていた光景が
目に浮かんだ私…‼️
直接口の中に放り込んで飲ませることが
まだ出来ていなかった私は、錠剤を砕いて
パウチに混ぜていっしょに食べさせる事を
していたんだ!
ちなみにこの方法は直ぐ猫に感づかれて、
2回目は通用しませんでした(笑)
そうだ、薬を砕いてプリンなどと
いっしょにスプーンで食べさせれば
いいんだ‼️
フクの薬の中でも抗生物質のは
カニカマの匂いがするので、比較的
嫌がらずに飲み込めたが、ステロイド
に至ってはその苦味で口の中で泡吹く事も
あり、吐き出してやり直す事も多々。
かなり辛い思いをさせてきた。
母も一度は口の中に入れたものの私が
見てない隙に出して床に落ちていたことも
あった。だから甘い物で苦味を誤魔化して
しまえば服用出来るかもと試みた。
今の所は成功して、時には錠剤のそこまで
大きくないものはそのまま口に入れて
お水を渡すと飲んでくれることもある。
その時その時で対応が変わるし、昼と夜
とか関係ないので大変なのだけど、
そういえば猫の看病も夜中や明け方に
目薬や抗がん剤投与していたなと・・・
貧血が酷くてだるそうにしているフクを
どうすることもできず、ただただ
「きついね…ごめんね。何もしてあげれなくて…」
そう言いながら泣きそうになるが、
私が泣いてちゃフクが不安になると思い
努めて明るく健康な時と同じように
振舞った。
あ…やっぱりフクのことになると、色々
思い出してしまうな…涙

フクが枕元に来てくれたよ❣
コレは2年以上前に起こった
嬉しい出来事です。
私はいつも二度寝をしていて、二度目は
明け方になってしまう
その二度目の睡眠に入る時に起こりました
フクが私のそばへ来てくれたのです
私は霊感とかはないですが、その時は
枕に感触が伝わって来たのです
ちょうど猫が前足でフミフミする時の
優しいタッチといえば解るだろうか…
「フク、来てくれたね!」
そう私はフクに話かけたが、その後は
特に何もなかった
でも嬉しくて、嬉しくて…
涙が自然と出てきました
「フっくん、ありがとう…大好きだよ!」
何か特別な日とかでもなかったその日
心安らぐ時間の中、いつの間にか
眠りに就いていた。
そして久しぶりにブログを書き、
フクの事を思い出してまた泣いていた。
だからかな…
翌日の早朝、まだ起きる前の時刻。
私の枕の上のところが凹む感触で
目が覚めた…
それはまさに猫の小さな足が枕を踏んで
通り越して行く、あの感触…
私は枕の上にフクが使っていた
真ん中に穴が開いている猫の顔の
ドーナツ型枕でいつも寝ている。
当時からそうしていたので
そのままの状態。
私がベッドに入ってない時は、
フクがその枕で寝てる時もあり、
早いもの勝ちのようでどうやら
フクも自分の布団だと思っていたみたい。
最近、ツラいことが多い日々だから
フクに会いたくて仕方ない・・・


介護がツライ時、どう乗り切るかが課題
週3回施設にお泊りしている。
95歳の父も最近認知症が始まったようだ。
そんなある日の自宅での夜、
母が排せつ物を手で触っているのを発見!
あぁ、とうとうこの日がやってきたのだ。
自分の感情を必死に抑えながら、
それでも口には不満、怒りを出している。
子供の頃から感情の起伏が激しい私は
それを克服しないまま生きてきた。
かといってその事でトラブルを
起こしたことはないけれど。
普段はそんなこと気にもしないが、何か起こると
コントロールするのにとても疲れる。
よく6秒数えれば、収まるとかいうが、
その時はとっさにそんなの思い出しもしない。
そして汚い言葉を吐き出して、やがて
時間が経過するとそんな自分に嫌気が差して
自分を責め、疲れてしまう。
歳を取ってもそこだけは頑固なほど変わらない。
自分の仕事やプライベートでもツラい時が
あるというのに、両親の介護が私にのしかかり、
時々何もかも嫌になってしまいそうな気持に
さいなまれてしまうのだ。
愚痴を聞いてもらったり、気分転換のような事は
しているが、根本の部分の短気な性質は改善しない。
漢方薬を服用したりはするが、気休めでしかない。
そんな時は失った愛猫フクに逢いたくなる・・・
フク、あなたが今そばにいてくれたら
どんなに心強いだろう・・・
どんなに嫌なこと、ツラいことがあっても
フクがそこにいてくれるだけで何も怖くはなかった。
フク、あなたに出会い我が家で共に生きてきた
その日々は私にとっては宝物だよ。
だって私が一番ツラい時、あなたがいてくれたから。
フク・・・あなたはもういない・・・
でもね、もう触れられないけど飾ってある
フクとの思い出の写真に毎日話しかけていると、
フクが見守ってくれているように感じるよ。
負けないで頑張らないとね、フク・・・
いつもありがどう・・・
大好きだよ、フク。

ブログを始めた理由
私とフクだけの共同部屋
猫を自分の部屋だけで飼うという
本当に出来るのか・・・?
毎日試行錯誤しながら、また同時に猫のフク
にとっても自由を奪われてしまい、相当の
ストレスにちがいないと思うと申し訳ない気持ちに
なりながらも、慣れてもらうしかないと日々葛藤しながら
毎日があっという間に過ぎていった。
家族にフクを隔離する理由を嘘までついた。
するからと言っていた。
反対されるに決まっていると思ったから。
フクは私が責任を持って守ると決めたから・・・
仕事が不調で精神的に辛い中、始めた
「はてなブログ」2018年8月が初投稿。
フクが我が家に来てから4年になろうとしていた。
今思えばもっと早く始めていれば、
フクの当時の様子を
詳しく振り返る事が出来たのに・・・
そう・・・ブログを始めた理由は、
時が経過して人生を振り返った時、
もう少し踏み込んで言えば、
私がこの世を去った時、たいして何の
取柄もない私について見送ってくれる
親族に、猫が大好きで部屋で共に生活した
フクが私にとってどれだけ大切な存在
だったかを知って欲しい。
そのくらいしか私について語れる
要素が何もないから…
これがブログを始めた一番の理由です。
まぁ有料版にした方が本当はいいんですが…
あとはパソコンに慣れる為とか、分からない
事多いけど、とりあえず新しいこと
やってみようという気持ちも。
アフェリエイトについても興味は
あるのですが、なかなかそこまでの
ノウハウは私には無いのが
現状です。(笑)

本間龍さんを応援してます!
フクの誕生日はこどもの日🎏
本日、5月5日こどもの日は
生きてたら10才の愛猫フクの
誕生日です。
過去の記事にも書いてますが、
野良猫の為生年月日不明なので、
獣医さんに尋ねて、これくらいだと
言われ逆算して勝手に私がこどもの日が
フクの誕生日としました。
その由来通りに、健やかに成長して
欲しいと願いそうしました。
名前も幸福になってほしいことから
つけました。
白血病に感染していても、発症さえ
しなければ、長生きも夢じゃないと
希望を持って過ごしていましたが、
その願いは叶いませんでした。
フクの出すサインに私がもっと早く
気がついていたら、発症は防げたかも
しれないと…その思いは消えません…。
定期的な血液検査の実施は不可欠です。
経済的に当時余裕がなく、
これくらい間隔開いても大丈夫だと、
勝手な決めつけをした私の判断ミスが
取返しのつかない事態をまねきました。
ごめんね、フク…ごめんなさい…
でもね、大好きだよ💗ずっとずっと…
これからも、フクといつまでも・・・ね。
たくさんのhappy をありがとう💗
フクちゃん、10歳のお誕生日おめでとう❣
おやつたくさん買ってくるからね。

愛猫フクの三回忌

2023年4月29日。
今日は猫白血病でフクが旅立って
3年が経過した。
白血病を発症したと診断された
確認されていなかった。
その後何度も病院を受診するうちに
マスク着用が日常化した。
そのうち他国でペットに感染したという
ニュースを耳にしたことで一気に不安に
駆られたのを覚えている。
事前に調べて知っていたが、
新型コロナウイルスとなると、先行きが
不透明な故、ただでさえ白血病の
治療の事で頭がいっぱいなのにと、
この境遇を恨んだものだった。
また、動物病院の院長先生やスタッフの方も
コロナ禍での対応に気苦労されて
大変だろうと感じていた。
今でも時々お世話になった病院の前を通るが、
大きなガラス張りの中に座って診察の順番を
待っている飼い主さんの姿を見るたびに
当時を思い出してしまい、涙がこぼれる
こともある。
白血病ということで、受診待ちのワンちゃん、
猫ちゃんが多い時は、というかほとんど
私はフクと車の中で
順番が来るまで待機していた。
フクの番になると、院長先生自ら外に出て
順番だと知らせて下さり、そういう
気遣いも飼い主にとっては嬉しいものだ。
心地良い季節なら窓を開けていれば、車内も
快適なのだが、発症した8月の猛暑の中、
エアコンをつけて待機するのだが、
どうしても車のエンジンの振動が体調の
悪いフクにはとてもツラそうで、
特に白血病は高熱が出るので、
それはそれはフクに苦しい思いをさせたものだった。
年を越して寒い冬の場合も同じ思いをフクに
させてしまった。
だから、なるべく朝一番で受診できるよう、
病院の開く40分ほど前に駐車場で待機した。
時間帯によっては待たされる時は1時間以上の
日もあったからだ。
車の中で持参したおやつを与えたりしたが、
熱がある時はそもそも何も口にいないので
ただ私はフクに話しかけ、
「フクちゃん、キツイね…ごめんね。
もうすぐ順番だからね。」
と励ますことしかできない自分の無力さを
嘆き悲しんだものだった。
一番治療で辛かったのは、抗がん剤投与である。
その内容は次回書こうかと思う。
思い出すだけでツラい…
錠剤を上手く飲ませきれず、フクに苦しい思いも
いっぱいさせてしまった。
ネコちゃん、ワンちゃんの飼い主さんは、是非
健康なうちに我が家の子は薬を飲ませやすいのか、
暴れて難しい性格なのかを把握して、
サプリメントで練習しておいた方が絶対いいと思う。
特にステロイドは苦みがあり、口の中で
溶け出すと猫が飲み込むのを絶対拒否してしまい、
泡ぶくぶくになってしまい、可哀そうだから。
こうして振り返ると、私はダメな飼い主だった
んだと改めてフクに謝らなきゃいけない…
薬を飲んでくれず、泣きながら無理やり投与して、
フクに嫌われてしまう事もあった。
部屋にネットワークカメラを設置していて、
いつでも、勤務先からも見れるようにしていた。
フクに嫌われてしまい、私が二階の部屋に
上がってると、足音で気付き、さっきまで
私のベッドの上でくつろいでいたフクは一目散で
ベッドの下に隠れたのだ。
あまりのショックで私は泣き出すが、
一番苦しい思いをしてるのはフクなんだから
自分がしっかりしなきゃいけないって
言い聞かせ、フクの気持ちが落ち着くのを
待つことにしてあまり気にしないよう努めた。
数時間したらいつものフクに
戻ってくれてまたそばにきてくれた。
基本的には大人しい子で、動物病院で待ってる時も
健康な時からいつも大きな声を出すこともなく、
いつもおりこうさんだね!って先生の言葉を聞いていた。
久しぶりのブログ更新でフクのこといつも以上に
当時を思い出した。
神様、叶う事なら保護して来た日に戻して!
もう一度私にチャンスを与えてください・・・
今度はきっと長生きさせてあげるからねフク。
やっぱり逢いたいよ・・・フク
大好きだよ、ずっとずっとね。

猫白血病の治療~前編
抗がん剤を投与するのか?しないのかの決断
抗がん剤・・・
聞くだけでゾッとする言葉。
様子が明らかにおかしいフク。
何度も何度もトイレに入るが、ウンチが出ない。
その回数の多さとやら、異常だった。
早く朝になって・・・
朝になりフクを連れて受診。
血液検査の結果を待つ間のもどかしいこと…
それでもまだその時の私は楽観的であった。
なぜなら、前も具合が悪くなった際も
フクは乗り越えてきたから…
がしかし・・・今度はちがった。
結果が出たと促されて部屋に入る…
院長先生の表情を見た私は、瞬間的に
嫌な予感がした。
検査の数値が画面に映し出され、
白血球の数値の低さがそれを指し示す。
他にも赤血球、血小板減少と異常あり。
「白血病です…」
私「エッ・・・?・・・発症したと
いう事ですか?」
「そうです。」
動揺する私のために少し間をおいて下さり、
「治療を早く始めたほうがいいので、
いまからどういう方法をとるか考えましょう。」
私「先生、今日直ぐ決めなきゃいけないですか?」
「はい、今からでも始めた方がいいです。」
抗がん剤投与か、ステロイド投与のみか?
抗がん剤投与をしてから、一週間おきに
血液検査の実施。その結果を見ながら
再び抗がん剤投与の繰り返し。
一方、ステロイド投与だけでは、
一時的に元気になるが
長くはもたないとの事・・・
私の答えは決まっていた・・・
ちょっと思い出して涙が止まらない
続きは後日に持ち越そう・・・

フクの元気な時の動画を再生したら…
…やっぱり泣いた
号泣してしまった…
フクを保護した直ぐでまだ体を
きれいに拭いてあげる前、私の膝の上で
身体をスリスリしている姿。
この時の動画は、病院でウイルス検査をして
落胆し、部屋にフクと閉じ込もり
食事もせずに一晩中泣いていた時の動画だ。
身体を拭くのさえ思いつかない…
鼻の先も黒ずんでいるが、
それはそれで愛らしくもある。
次に再生した動画のフクは
きれいな毛並みでツヤもあり、とても
美しかった。
猫じゃらしで遊ぶ姿
ジャンプしたかと思うと、そのまま
ひっくり返りお腹を上にする姿がおかしくて
いつも笑わせてくれたんだよね。
仕事から帰って来て私が階段を上がって行くと
部屋の中でフクが段ボールで爪を研いでいる
音がいつもしていた。
「もうすぐご飯だあ~❣」
フクちゃん大興奮の時間です!
フクと同じ目線にしゃがみ込むと
「おかえり~!」と私の体に
もたれかかるようにバンザ~イするフク。
毎日の日課となり、私の「ただいま~!」の
言葉と同時に両手を広げ、バンザイするフクの
愛らしい姿に一日の疲れなどあっという間に
吹っ飛んでいった・・・

脱いだ私の靴下の臭いをかぎ
顔を靴下にスリスリしてテンションが上がるのにも
最初は驚いてしまったが、猫あるあると知り納得。
こんな日常がいつまでも、いつまでも
続いていくと信じて疑わなかった日々。
フク、あなたが白血病を発症してしまった
2019年8月からこの夏で4年になるよ。
あなたが天国へ旅立つ数か月前から
今なお続いています。
コロナの影響でフクの49日法要は
YouTubeでの視聴となり、
フクと共に過ごした部屋で手を合わせた
2020年6月。
コロナとの共存に挑む中、
一周忌という形で法要をしに
ペット霊園へ出向いた
2021年4月。
フクの名前が呼ばれると
嗚咽をあげるほど一目をはばからず
泣いた・・・
住職さんの法話の中で
「愛するペットちゃんに、いつか
また会える日まで気を長くして
待っていてね!」というお言葉に
つけたいたマスクは涙で覆われた。
フク…コロナウイルスはまだ続いているよ。
どうかお空から祈っていてね。
かつての日常を我々が取り戻せるように・・・
大好きだよ フク

私が応援する「一月万冊」

本間龍さんを応援してます!
YouTubeチャンネル「一月万冊」
で毎日配信されてます。
この頃テレビを視る機会がめっきり減った。
とりあえず付けてはいるもののそれは単に
時間を確認するためだとかで、
余程のことがない限り真剣に視てる
ことはない…
ドラマもリアルタイムで視聴出来ないので
後から動画サイトで視ている
一月万冊は元々はナビゲーターの
清水さんが読んだ本の中でおすすめな
著書を紹介するといった番組だったそうです。
上記に紹介した本間さんも清水さんが
読まれた本間さんの「原発広告」
という著書を番組で紹介したいと
本間さんへ連絡をされたのがキッカケで
現在に至るそう。
私が視聴し出した頃は、
オリンピックの税金の無駄遣い、
永田町の政治、新型コロナに関する
内容が多かったです。
元々私は永田町の政治とかには
興味があった為、テレビを視る機会も
減った事と晩御飯を作りながら
一月万冊は視聴できることで段々と
視聴する時間が増えていきました。
時事ネタ多めですが、笑いもあり
それに沢山の知識を学べるのです。
時には人生においての深い内容もあり、
時として涙が出る時もあります。
そして、自然と癒されるのです。
こんなのを無料で毎日視聴できるなんて!
なんて贅沢なんだってありがたいです。
YouTube様〜って感じです!笑
それに一月万冊メンバーの皆様
毎日の配信ありがとうございます。
一日に動画を5~6本投稿
されているので、視聴しきれない分は
翌日や休日にまとめて
視聴することになります。
本間さんの他にも安冨さん、
佐藤さん、今さん、平田さんと
時々の片岡裕介さんと
多岐にわたって話題を提供されてます。
時には国会議員の方や
選挙ジャーナリストの畠山理仁さん、
ジャーナリストの今井一さんなども
出演されています。
清水さんご自身も体験談を語られて
非常に分かりやすく解説されますので、
初めて視聴する人にも親切です。
2年前、愛猫を白血病で亡くしペットロスになり
ようやく泣くことも少なくなってきたけど、
今度は両親の介護が始まり、母親の方は
認知症なので精神的に日々疲れてしんどい
ですが、この「一月万冊」のおかげで
笑顔になれます。

「名もなき受刑者たちへ」の著者
本間龍氏は一月万冊のメンバーで
毎日配信中!面白いので是非
チャンネル登録とイイねを❣



